今日の礼拝のメッセージ箇所の中で私自身が
「あ!」
と思い今迄の自宅を悔い改めて御言葉をガッツリ頂きましたヽ(´・∀・`)ノ
というのは
ローマ人への手紙 9:19〜33
のメッセージ箇所でしたが私は救われる前から
「誰に言っても障害は治らない。」
とある意味意固地になっていました。
それに気づかないまま(つぶやいた状態)癒しを求めていました。
「御言葉で癒されると御言葉が来ない。」
と思っていました。
そして今日
ローマ人への手紙 9:19〜24のメッセージ箇所の事柄を牧師から教えて頂いた時に
「そうか!」
と文字では現せにくい気持ちになりました。
簡単に言うと
「束縛から解放された!」
と言う感じです。
ちなみに特に9:20〜21でした。
「確かに主は意図も簡単に私の障害を癒やして下さる癒し主です。
でも今はこの障害が許された事に主のご計画があるんだ!」
と確信しました。
凹みそうになったらこの箇所と家族が救われると語られた箇所をしっかりと握り締めて行きたいと思います。
母は朝から悩み事を涙ながらに打ち明けてくれましたが私にはどうにも。
「S牧師に私に話してくれた事を話してお祈りしてもらうと良いよ。」
と促し礼拝と洗礼準備クラスの学びの後に先に私が明日親知らずを抜くのでそれに関してのお祈りと母は相談と言う感じで母の部屋でお祈りをして頂いたそうです。
S牧師が私がお昼している公園に来て下さり本当に感謝します。
御言葉を頂ける醍醐味!
主にお祈りできる醍醐味!
救われて良かった( b^ェ^)b
母は今母が悩んでいることとほぼ同じような事柄の証が掲載されている新聞を明日読んで見ると話していました。
感謝し喜びます。
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